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ようやく、熟睡できるようになった。
躁状態が落ち着いてきたのかもしれない。しかし、楽観視できるほどでもない。今の精神状態はフラットだけれども、いつ、躁状態に戻るのか、逆に、鬱状態に入るのかは、油断は出来ない。 未だに、精神的疲労は取れていないので安心はできない。肉体的な疲れはほぼ取れている。僕の場合は、躁鬱の幅が人より大きい。しかも、いつパニックの発作が起きるのかすらわからない。 さて、話題は変わるが、英語の勉強や司法書士の勉強を今日はやりたいと考えている。小説の執筆もできることならやりたい。どんな精神状態でも、エッセイを書くのがプロである。中島らもさんは、鬱の状態がひどい時でも、エッセイや小説、劇団の脚本を書いていた。彼の場合は、アルコールをガソリンとして自分のエッセイの中で書いていたと述懐していと記憶している。 僕は、そんな真似は到底できない。しかし、どんな精神状態でもエッセイや小説を執筆することは可能である。何だかんだと言いながら、このエッセイもどきも、ほぼ毎日更新している。内容はたいしたことはないが。 ただ、文章を書くことによって、ある意味救われている部分もある。その時に感じたことを、言葉に変換して書いていくことによって、頭の中が整理されていく。躁状態のときでもそうだ。今、自分はどんな気持ちで書いているのかを焦点を絞り、自分自身の自我を把握することができる。 できるからといっても、躁状態が治るわけではないが、一種の外部記憶装置として、このブログの存在意義がある。これからも、その時々の気持ちを残すために文章を書いていき、且つ、面白いブログとして書けていければ幸いである。
by yoshibou225
| 2015-12-19 08:07
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