カテゴリ
以前の記事
2016年 11月 2016年 10月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 フォロー中のブログ
外部リンク
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
躁鬱の状態が長く続けば続くほど自分自身が損なわれるような気がする。
何をするにしても中途半端になり、集中力が続かない。それでも、ライティングの仕事や、小説の執筆、英語の勉強に関しては、中途半端にはしたくない。後は、中途半端になってもいいのか?と聞かれれば、ある程度は仕方がないと割り切るしかあるまい。 割り切った分だけ、僕自身のペルソナが損なわれるのである。それ自体が苦痛で仕方がない。血も涙も出ない悲しみが僕を襲う。何通りものやりかたがあると、自分自身でも分かっている。ただ、それが出来ない歯がゆさだけが僕の中に取り残される。 取り残されるといえば、僕は社会に取り残されている。僕だけがという気持ちが強い。社会からドロップアウトした人間においては、行きづらい社会のシステムになっている。無論、その道を選択したのは、自分自身だから、文句は言えない。 僕は、どこか致命的な欠陥を抱えているのかもしれない。それは、躁鬱病やパニック障害といった二次的な要素ではなく、根本的な弱さではないだろうか?まずは、それを認めることによって、解決策を模索しようと思う。一朝一夕には上手くいかないだろう。それでも、やってみる価値はある。 自分自身の根本的な甘さを認めて、それから、どうすれば、この弱さを克服していけるのかを、模索していかなければならない。今後の行動を改めていきたいと思う。
by yoshibou225
| 2015-11-29 08:16
|
ファン申請 |
||