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「習うより慣れろ」とは、良く言ったものである。今、取り組んでいる親指シフトや小説もそうである。親指シフトを知らない人に説明すると、ローマ字入力より簡単に素早く入力出来る優れものなんだが、ひとつ難点があってそれは収得するまでに時間がかかるという点である。
そういう意味では、小説も同じことが言える。とにかく小説何作品も書いていかなければ上達しない。いい回しだとか描写力とかが養える。小説を何作品も書いてみれば、自分の弱点が見つかるときがある。まさに、そのときが上達するチャンスでもある。そのまま、見過ごすのか、見過ごさないのかでは大きく変わってくる。新しい視野のもとで書いているのは、最初は不慣れだろうけれど、こちらも「習うより慣れろ」である。 親指シフトを完全に自分のものに出来るのは、もう少し先の話になるだろう。小説も同じことが言える。親指シフトも小説も一朝一夕にはいかないだろう。それでもやる価値はある。他人から押し付けられたものではなくて、自分が選んだ道だから。 さて、話題は変わるけれど、僕がどうして躁鬱の状態で文章を書けると思い込んでいたのか、それを語ろうと思う。人によっては退屈な話なので読み飛ばしてもらっても構わない。それくらい単純な話である。 鬱病と診断されたときには落ち込んだ。そんなときに中島らものエッセイに出会った。彼の書く文章はとても優しく包み込んでくれている印象を抱いた。彼が書いている作品を全て読んだ。一方で僕の状態が悪くなり、躁鬱病とパニック障害も患った。 中島らもも、躁鬱病を患いながらも、エッセイや小説を書いていた。その事実を知った僕は、凄いなと感心すると同時に、僕でも書けるんじゃないかと大きな勘違いをしてしまったのである。今から考えると非常に恥ずかしい。勘違いもはなはなだしい。冷静に考えれば分かることなのに。 僕と中島らもとでは、大きな差がある。それは、才能の違いである。これはハッキリとした事実である。天と地ほどの大きなへだだりがそこには存在している。中島らものエッセイを読むと、自分でも書けそうな気がして仕方がなかった。だから、中島らもとはテイストの違うエッセイを書こうとして、この「エッセイもどき」を書き始めた。自分には、眠っている才能は無いかもしれないけれどあると信じて今まで書いてきた。 実際に、躁鬱病を患ったときは、とてもじゃないが文章を書ける状態ではなかった。この時に思ったのは、やはり中島らもは天才だったと。僕もいつかはどんな状況でも文章を書けるようになりたいものである。
by yoshibou225
| 2014-04-08 06:30
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