カテゴリ
以前の記事
2016年 11月 2016年 10月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 フォロー中のブログ
外部リンク
その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
日本人のルーツをたどれば、お米というのは常に身近な存在だったと言える。時代背景を考えてみると、戦時中などは、お米は貴重品として取り扱われて銀シャリと呼ばれるほど、高嶺の花だった時代もある。古い時代も、お米の価値は高かった。だけど、戦後の復興とともに、銀シャリとも呼ばれたお米が庶民の身近な存在となったのである。
僕のお気に入りである「かもめ食堂」の中で、日本人のソウルフードはおにぎりだと主張している。確かに、そういう一面もある。具材はシンプルに、梅、鮭、おかかの3種類である。まさに適材適所と言わざるを得ない。個人的には昆布を入れて欲しかったけれど。 それにしても、梅と聞いただけで唾液が口中の中に広がり酸っぱく感じる。鮭の切り身が入っていれば、それだけで得をした気分になる。おかかは、ちょっと醤油をたらした鰹節を削ったものを混ぜ込む。意外にも醤油とごはんって合うんだよね。ツナマヨなんてものは邪道とも言える。 けれど、梅、鮭、おかかの3兄弟は、それほど人気がある訳ではなく、ツナマヨやら、明太子などに押されていて、少々分が悪い。3兄弟の長男である梅なんかは虐げられている。種があるから嫌だと言われ、不本意ながら健気に種なしを世に送り出したけれど、あまり、受け入れられていない。次男の鮭は、かろうじて切り身を入れることによって、高級感を演出して受け入れられている。問題は三男のおかかである。今、若い人たちにとっては、おかかって何?という扱いを受けて、見向きすらされない。由々しき問題である。 一番、割りを食っているのは、梅ではなくておかかである。長男の梅は、何とか人々に認知されてはいるけれど人気は薄い。おかかは、人々に認知されずに存在感が薄い。おかかの嘆きが聞こえてきそうである。「俺って、そんなに悪くは無いのに。食べてもらったら良さが分かるのに」といじけてしまっている。その姿は、何となく哀愁を漂わせている。ここは、何とかせねばと思いながらも、おかかの魅力って何だろう?と考えてしまう。 要するに、おかかって何の取り柄もないのである。しかし、食べてみると取り柄のないおかかがおにぎりの具材として生きている。本人にしてみれば、かつおだと、出汁の場面では大いに活躍するのに、いざ、おにぎりの世界に入ると見向きもされない。そんなことなら、出汁に身を委ねるのが一番よかったのにと、ここでも嘆きと言うか恨み節が炸裂する。大丈夫、君の良さを分かってくれている人はいるから。と僕は語りかける。少なくとも僕は君のことが好きだからね。と言って、おかかを慰める。しかし、傷ついたおかかの心は癒されることはない。この際だから、ツナマヨより、おかかを是非若い人に食べてもらいたいものである。
by yoshibou225
| 2014-01-27 03:38
|
ファン申請 |
||