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吾輩は猫であるという書き出しがあるように、猫にも意思疎通として鳴き声があるのではないだろうか?となると、日本の猫を、例えば、アメリカに連れていったとして、意思疎通が出来るというのであれば、猫の言語と言えば良いのか分からないが共通であるということになる。
昔、バベルの塔を高く作り神の世界へと行こうとした人間たちに対して、神が逆鱗して、バベルの塔を破壊して、それまで、同じ言葉で話していたのを、違う言語にしたという逸話があったと記憶している。 それゆえ、違う言語で話さなければならなくなった。だから、個人的には、バイリンガルとかは、神への冒涜ではないのかと思い、世界の共通言語の英語を勉強しなかったというのは、へ理屈だけれども、理にかなっていると思う。 そうすると、国際結婚も神への冒涜にはならないだろうか?それに加えて、同性愛者の結婚も同じになる。杓子定規に考えると、そうならざるを得ない。しかし、バイリンガルだったり、国際結婚にしろ、同性愛者の結婚にしろ、神の逆鱗に触れるとは思わない。 そもそも、神の国へと近づいただけで、怒る神様も、神様としてどうなの?と思う。偏屈で融通が利かない神。そんな神の逆鱗に触れたところで、どうともならないと個人的には考える。 まるで、神はわがままに育った子供が、そのまま大人になったと言う気がしてならない。何しろ、古今東西、神様は、良く怒る。先述したバベルの塔もそうである。世紀末予言などは、その最たる例である。一方では、罪人でも悔い改まれば、神のもとへと導かれるとは、虫が良すぎる話である。 とここで、疑問に思うのが宗教の存在である。救いを求めたり、現世利益を求めたりと人間の様々な欲望によって、神の形は変わっていく。本来であれば、天変地異を怖れ、大地の神に祈りを捧げることによって宗教は産まれたと僕は解釈している。 だから、僕は都合よくかえられた神に祈ることはせずに無宗教できている。そんな僕に宗教の勧誘などはやめて貰いたいものである。何度も同じ目に会い、以上のような理由で断ってきた。どうせ信じるのならば、都合良くかえられた神よりかは自分を信じていきたい。
by yoshibou225
| 2013-10-02 14:44
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