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今日は理想の死に方について考えてみようと思う。というのも、一昨日に薬を間違って半分意識も売ろうとなった状態で、「ラーメンが食べたい」と感じたのがきっかけである。そもそも、ラーメンって思いもしなかった感覚だ。これが死ぬ間際の言葉ならかっこが悪いったらありゃしない。親戚一同、唖然とするだろう。真面目な人なら、「何味なの?醤油?味噌?とんこつ?坦々面?ちゃんぽん?」など聞いてくるかもしれない。出来れば、そういう事態は避けたいものだ。
後、気をつけたいのは昔付き合っていた女の子の名前は避けたいものである。いまわのきわになって、「トミコ」ってつぶやいたら、誰なんだよ親父。っていうことになりかねない。後腐れなく円満にこの世をさりたいものだ。 やはり、そういう意味では食べ物が一番しっくりくるな。単に食い意地がはっているからかもしれないけれど。「ラーメン」って選択肢が広がるからちゃんと指定しとかないと。「チャーシュー麺、にんにく多めで」というのはいかがだろう。これから死の床へと向かうのに、にんにく多めというのはいかがなものかと思われそうだが、あちらの世界で、ばてないようにするためである。 病床で、にんにくの匂いが充満して、チャーシュー麺をいただく。そして、ごちそうさんといいながら、命尽き果てる。ある意味理想の死に方である。最後に美味しいものをいただいて、親戚一同に見守られる。そこには涙はなくて笑いが充満している。だから、今のうちから練習しとかないと、いざ実践するとなると上手くいかないケースがあるので、そのあたりは気をつけたいものである。
by yoshibou225
| 2011-11-18 04:20
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